傘はある

健康で文化的な愛にあふれた生活

殴らせてください

今からわたしは他人を殴る。

世の中には、いろんな人がいる。
精神的に脆い人や少しだけ心が弱い人やしょっちゅう思い悩んでしまう人もいる。
わかってるんだけど、わかってるつもりになっているだけな気がする。

仲の良い友人たちはみんなちょっとバカだったり不運だったり根暗だったりするけれど、なんだかんだ頭が良くて自己分析がしっかりしていて上手く生きれている人たちが多い、気がする。
みんなきっとそれなりに解決できない悩みも抱えているとは思うし苦しいことだってあるんだろうけれど、言葉を聞いて言葉を選んで他人が接しやすいような表現をする、気がする。
ありがたいことに、そういう人とばっかり知り合って仲良くなってきた。

だから、少しだけ心が弱い人がものすごく心が弱ってしまった瞬間に遭遇すると、わたしはどうしたらいいのかわからない。
一緒に底まで堕ちる決意もないくせに、生半可な気持ちで救ってあげたいと思ってしまうわたしはほんとうにだめだ。
「僕はものすごくメンタルがやられてしまっているときは君に会いたくないと思う」と言われたことがある。
それを言った人を恨んでいるとか腹が立ったとかそういうのではないしそれこそ皮肉でもなんでもなくて、なんとなくふとしたときに思い出す。

わたしは明るいしポジティブだし強いけれど、それをインターネットで書くとボコボコにされる。
幸せアピールやめろとか、わたし恵まれてます自慢やめろとか、ボコボコにされる。
なんだよ、なにが悪いんだよ。
暗いことを書いてもつらかったことを書いても怒られないのに、明るいことや幸せだったことを書くと難癖をつけられるのがわからない。
同じじゃん、ただ逆なだけじゃん。
その日あった出来事を書いて、それがマイナスの内容なのかプラスの内容なのかの違いだけで、別に変わらないじゃん。
キンタマ潰すぞ、クソッタレ。

こういう風な考え方をした方が相手を不快にさせないんじゃないかとか、ほんとうは苦手だしできることならしないで済みたいけれどこういう接し方をした方がのちのち得をするんじゃないかとか、25年間かけてたくさん失敗してたくさん反省してたくさん努力して、そういうことをしてきたわたしの存在は無視するのか。

それなりに怒りがあって、インターネットが下手っぴで、そのくせ語彙力が乏しくて、涙が出てくる。
みんな黙って左頬を差し出してくれてありがとう。